二度と聴けない音楽会

いつもは、与えれたり 支えられる立場から、与える人になった音楽会

あの日
ピアノを弾き始めるとみんなが集まってきた。そしてとにかく楽しんで歌いはじめた。

2017年の秋から企画し、2018年1月にみんなで実現したコンサート。
私たちのコンサートは、いつもご来場者をみんなでおもてなしするために、出演者もスタッフも企画の立ち上げから行っていました。
東松山の就労支援施設ライスオンライスの障害のあるスタッフのみんなと朝活メンバーと開催した手作りコンサート。
入りきらないくらいに、たくさんの方々が駆けつけてくださり、涙と笑いの心に染みるアートコンサートとなりました。

彼らの歌声やそのエネルギーは、
純粋に好きという気持ちが美しいエネルギーとなり、
歌えなくても、聴こえなくても、歩けなくても、動けなくても…。
音楽という聖なる振動として、伝わっていくのだと思います。

また、いつの日か

みんなでこのコンサートができると信じて

This is our ART.

この後、この好評だった音楽会をきっかけに音楽団を結成しアウトリーチ活動を行いましたが、この活動を面白く思わない心無い人が開催予定の施設に不安を煽るような連絡をしました。
そして練習を重ね本番を控えた直前にそのアウトリーチコンサートは中止となってしまいました。悲しむメンバーの顔を忘れることは出来ません。
そして、この時、私たちは東松山を本気で離れる決断をしました。この子たちまで巻き込んではいけないからでした。再び、またみんなで活動できるよう離れたところで根も葉もない悪い噂に惑わされず実績を積むことを決心し今に至っています。

私たちの大きな目標
いつか必ずやる!「壁のない枠を超えたコンサート」の糧となっている思い出のコンサートでもあります。

この音楽会のことをブログにも綴っています。
ぜひご覧ください。
いつかやる壁のない音楽祭
2度と聴けない音楽会とはなんだったか
ダウン症のあの子が笑顔で言った『わたしと一緒だね』

昨今、障害のある方々の活躍もどんどんメディアに取り上げられるようになりました。
彼らから与えられる希望や気づきに多くの方がその恩恵を受けているのではないかと感じます。

私、松澤亜希子は、トレーナーとして障害のある方々との接点も持ち続けてきた中で感じたことがあります。
「パラリンピック」の「パラ」意味は、下半身不随(paraplegics)が由来で、脊椎損傷の戦士たちがグッドマン医師により世界を変えていく歴史に起源があり、グッドマン医師の精神と活躍には、本当に心から敬意を示し傾倒します。
しかし私は、このパラを「パラ(Para)」はギリシャ語の前置詞で「並んで立つ」という意味で「対等」という意味だと知り、また交わることがない「パラ」という意味でもあることから、対等でありながら交わることがない。まさに、私たちのプロジェクトのテーマの一つ【調和】の要であると感じています。

スポーツを通じこれからも励まされ、エネルギーをもらう人は減ることはないと思いますが、私は、これから時代は変わっていくと感じています。言葉を超えた音楽の力こそが、私たちに気がつかせてくれるものが必要だと感じています。

それは、私たちがあの日、彼らの音楽によって気がつかされたように多くの人に光と気づきを与えていくのでしょう。
再びまた一緒にステージに立とう!

 

当時の様子とみんなの好きなこと大切なこと

楽譜が読めないメンバーのために、歌詞カードを書いてくれた。

見やすいように、大きな字でふりがなを振ってくれた。

字が読めないメンバーは、車椅子で人生で初めてのワンピースとCDを買いに行った。

薄給を貯めて買ったギターの響きは、その響き以上にみんなを震わせた。

※下記は過去に行われた当イベントの案内です。

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2020年1月19日

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