春分の日&秋分の日 地球おんがく祭

世界中どこからでも真東から日がのぼり真西に沈む年に2回の日に行われる感謝祭

 

地球おんがく祭とは

先行き不安を否めない時代においても今も尚、私たちは自然の恵みのサイクルの中に存在している。春が来れば、大地から虫や木の芽が顔を出し、暦通りに鶏は卵を抱え、川には魚たちが戻ってくる。もしかすると人間だけが、自然界のサイクルに反して違う方向へ進もうとしているから、こんなにも生きづらい人が増えているのではないだろうか?子供たちにとっても日本の文化的な原風景がコンクリートに埋め沈められていくことは、アイデンティティの源のない状態なのではないか?風化していく歴史とその風景を子供たちに歌い繋ぐことは、今しかできない私たちの最善の策だと考えました。そして、30年後、50年後、私たちは生きていないかも知れませんが、子供たちは生きていきます。そんな日の日本を思うとき、誰もが「平和」という二文字を思うのではないかと思います。どうすれば、平和な未来を子供達に渡してあげられるだろう?そう考え抜いた私の答えの一つが「一人一人の心身の健康」です。健康、健全な心に悪は忍び込めない。ひとりひとりが自然と調和して心身の健康を取り戻すきっかけとなるようにとの願いを込めて、昼と夜が同じ12時=43200秒を刻む春分と秋分の日に、A=432Hzつまり1秒間に432回振動するピアノ伴奏の音楽で自然との共振共鳴を感じ、様々な立場の異なる人たちが声を重ね感謝を分かち合う音楽祭を行いたいと企画しています。

子どもから高齢者まで

障害も国籍も宗教も政党も全ての枠を突破してプロもアマもここではフラットに自然への感謝を歌い讃えるお祭り

 

 

 

子供の頃は、毎日が楽しかった。

その当時は、寂しい思いや辛いこと虚しいこともあったけど

思い出す思い出は、日々の些細なことで

例えば、学校の帰りに、わざわざ舗装された道の端に茂る雑草の中を走って遊んだり

終業式にやたら荷物を持って帰らされたり、

給食の時に、牛乳を吹き出したり

それは、今思うと懐かしく楽しい思い出。

このプロジェクトを始めた時、

今の子どもたちは、ワクワクしていないように思えたのです。

私が、小学生の頃は

バブル崩壊寸前

崩壊後もその余韻が残っていて

まさかこんな時代が来るなど誰も思っていない時代。

特に、私たちの故郷の東松山の一大イベント

「歩け歩け大会 スリーデーマーチ」は最高だった。

 

11月の歩け歩け大会が近づくと

姉妹都市のオランダやその他の土地

海外や日本各地から参加者が集まって

学校の校庭や体育館にテントを貼って

歩け歩け大会スリーデーマーチに備える。

 

町中の各商店街の通りには、各国の国旗が飾られて

最終日は、パレードが行われる。

 

私たち松一小学校の生徒は、

上級生になると<青いベレー帽>をかぶって

ブルマーと体操着というなんとも滑稽なスタイルで

それでも誇らしげに鼓笛隊として参加する。

 

たくさんの外人さんや町の人たちが黒山の人だかりで

パレードは盛り上がる。

大人たちも腹踊りやチンドン屋などとにかく賑やかで

あの熱気は、忘れられない。

 

今は、大人になったから

時代が変わったからか

パレードや歩け歩けもあるけれど

当時とは何かが違うと個人的には思っています。

小学校4年生の時だったと思う。

校舎が新築になる前の古い校舎だったから。

その年のスリーデーマーチに

早乗りした外人さんが

音楽の授業を見学に来たんです。私は、端の席だったのがよかった。

外人さんが、ポケットから<木彫りの靴のキーホルダー>を取り出して

プレゼントしてくれた。

 

赤い木彫りの靴

こんなものを履いて歩くのか?とびっくりした記憶が蘇る。

それから毎年、あの外人さんは来てるかな?と

探すのだけど会ったことはありません。

でも、そういう思い出の1ページというのは

人生を彩ってくれている。

 

私は、故郷、地元の子どもたちに

自分達の町を誇りに思ってもらいたいと

思ってこのプロジェクトの立ち上げをKさんに提案しました。

世界中から人が集まって

町中が、賑わい笑顔になる日がある。

そんな故郷は、私にとってずっと誇りであり糧でした。

 

いつか故郷に錦を飾りたいと思いながら 今も生きています。

 

先日、お陰様で無事に 今の地元<越生町>で

「春分の日 地球おんがく祭」が終わりました。

当日の合唱参加は、越生からの人たちよりも

町外、県外、都内やなんと関西からの参加者が

4分の3以上と圧倒的に多くいらしてくださっていました。

 

このプロジェクトを始めた当初から

私が提案する地域貢献、地域活性化の基本は

地域の外からの人をたくさん呼んでこれること

そして地域がその受け皿をつくれること。

いろいろやっているね、と言われる

コラボ商品開発や

柚子胡椒もカフェラウンジも自分達ができるその一つです。

 

町外、海外からお客さんが来たときに

お金を落としていってくれることが大切。

 

そして、また来たいと思ってもらえる「おらが町の魅力を知っていること」

だと思っています。

新しいことをすればいいわけでもないし

町民同士で盛り上がって終わるだけでは限界がある。

2017年の年明けからプロジェクトとしてスタートしてから試行錯誤

転んでは立ち上がり転んでは立ち上がりでしたが。。。

 

 

毎年春分の日と秋分は、越生にいこう!

越生にたくさんの人が来てそれをみんなで迎えよう。

そんな風になるのが私たちの夢です。

 

私たちは、あと10年、20年、30年程度の命かもしれません。

明日までかも知れません。

 

でも、確実に50年先、100年先を生きる人たちがいます。

 

そんな彼らに大切にしてもらいたい日本の歌

一緒に童謡唱歌を歌い繋いで遺していきませんか?

 

 

 

 

 

 

 

 

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